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2016年01月15日

神とは?
































                                              

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眩暈(めまい)を起こしそうになった方、実際、眩暈の起きた方。
あなたは、啓示を享けるにふさわしい体質の持ち主です。


さて、これでは「神とは何か?」の答えになっていないではないか、と詰め寄られそうなので、
若干の説明を加えたいと思います、
私の神観念は聖書に述べられているように「在りて在るモノ」ではあるけれど、
「創造主」「天父」「絶対者」・・・などの人格神ではなく、「神のようなモノ」なわけです。

ただ、聖書の記述に携わったモーセを始めとする預言者たちが光(ヒカリ)ではなく、
その声(ヒビキ)によって啓示を享けているケースが多いのです。

「絶対者」を想定しても、何の不思議もありません。

もうヒトツ考えられる理由は、神なる者が何故、古代ユダヤ民族を神の民として選ばれたのか?
という疑問とも関連するのですが、おそらく古代ヘブライ語が、神の声(ヒビキ}を乗せやすい、
通訳しやすい言語だったからではないでしょうか?

これは、理由は異なると思いますが、原始仏典がサンスクリットによって書かれているのと通底するコトです。

どの聖書にも、これは「神の言葉である」と記されています。
古代ヘブライ語は聖なる言語として扱われてきました。
サンスクリットもしかりです。

ところが、教祖たる人物、イエスさまも、釈尊も、その教えを説き、法を説きはしたけれど、
一冊の著書も残してはいないのです。私には、とても奇妙なコトに思えます。



0:無神論者、仏教的空観に立つ人には堪らない数です。
  神は無神論者をも愛し給う。

1:クリスチャン、一神教信徒には吸いつきたくなる数です。
  神はひとり子を賜うほどに我らを愛し給う。

∞:人格神としての神観念の薄い私のような者にとっては、
  祭壇に奉納しておきたいくらいの記号です。
  <永遠・無限>の存在を端的に表わしています。



つまり、私の抱いている神観念は0=1=∞です。
クリスチャンなら十字架ひとつで済むはずのモノを
哲学的に考えるとこんなふうになるという一例です。

もし、数学的に上のような等式が成り立つとしたら、
すべての学問、知的営為は無駄骨になってしまいます。

私がここで伝えたかったのは、神は信仰の対象であって、
思考の対象ではないという一事です。




タグ:定義
posted by Tacot Jeu at 04:46| Comment(0) | アンカー Anchor

2016年01月10日

アンカーのあるべき姿


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     信仰(Vision)を確かなモノにするコト。







「イエスさまがキリストである」と確信するコト。

この日本では、私のような経緯でクリスチャンになるケースも
今後増えていくかも知れない、という思いで私事を披瀝いたしました。

この国のキリスト教の歴史には、無教会派のクリスチャン:内村鑑三氏のような方も
多々輩出してきてはいますが、聖書をチャンと読んだ上での入信だと考えられます。

現代、世界宗教として行われている三大教派はキリスト教、イスラム教、仏教ですが、
このなかで、人類の救済(スクヒ)を前面に打ち出しているのは、キリスト教のみです。

いづれの教派にも「イエスさまがキリストである」と考えている方は相当数いる模様です。
Messianic Jew, Messianic Isram と呼ばれている人々のことです。

その例にならえば、私やボビー君は、さしずめ、Messianic Buddhist と呼べるかも知れません。


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ところで、このブログ・タイトル:Anchor アンカーを無断借用した発行元: Sunrise Ministry
説明文を紹介しておきます。正しい信仰を学ぶ上でとても参考になると思います。

     ■概要 現代の社会事情とキリスト再臨の前兆に関する記事を掲載。
     アンカー(錨)であるキリストを基に、これから吹き荒れるであろう嵐に備えるため、
     現代の真理をテーマに最新情報を記事にした不定期刊行誌。

 ■目的と編集指針(抜粋)
     7.最後の時代の嵐に押し流されないようにさせるアンカー(錨)は、
      三重の使命、聖所、安息日、人の性質、イエスの証(預言の霊)等である。

     8.アンカーはリレーの最終走者の意味もある。この世代は福音の働きが、信者の中に、
      外の世界に完成する最後の時代である。不信仰によって、150年も時が延ばされ、
      イエスの十字架の苦しみを増している。
       信仰による義認の体験によって、再臨を早めることをキリストは待っておられる。
      再臨とみ業完成をこれほど遅らせているのが我々神の民であるとするならば、
      我々の今日の、義務は何か、約束のものを受ける条件は何なのかを研究し、共に備えたい。



タグ:態度
posted by Tacot Jeu at 14:38| Comment(0) | アンカー Anchor